表紙にタイトル、そして犬の写真。
「ズー」はもしかして「ZOO」なのかな?
と最初は思いました。
犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」
帯をみて混乱しかありませんでした。
動物性愛者って、獣姦のこと?なのに「パートナー」って?
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こんなに重い冒頭はなかなかないものです。
著者が学生時代から恋人に受けていた身体的暴力、性暴力が赤裸々に書かれています。
言葉の暴力から始まって、暴力を延々と繰り返したのちのレイプ。
結局28で結婚。その九か月後振るわれた身体的暴力により離婚が成立します。
その後自分を責め続け苦しみの果てに大学院で研究をすることを選びます。
文化人類学におけるセクシュアリティ研究。
人間の性やそれにまつわる事象、性をめぐる社会的な状況、性の歴史などに多角的にアプローチするという研究分野です。
「動物性愛」に対する研究は当時の指導教員に薦められたそうです。
宗教の考えが色濃いドイツに動物性愛者による団体「ゼータ」が存在します。
そのゼータの方々とインターネット上でコミュニケーションを取ったのちにドイツに向かい取材をされています。
動物性愛擁護団体「ゼータ」とはドイツの団体です。
2000年代なかばにドイツ国内で動物との性行為を禁じる法律が追加されることになった際に立ち上がりました。
法人格を備えた団体を設立するには代表者の氏名、住所を明らかにしなければいけません。
そうまでしてその法律の追加を阻止したかったのですが、法律は追加となってます。
主な活動はインターネットを通じてのやり取りとなります。
そこでパートナーとの近況報告などやり取りをされています。
また動物性愛者は自らを「ズー」と称します。
タイトルの「聖なるズー」の「ズー」はこれを指します。
(動物性愛者を意味するズーファイルの略語)
このズーもいろいろ違いがあり
・自身が男性で、パートナーの動物がオスの場合、ズー・ゲイ。
・自身が女性で、パートナーの動物がメスの場合、ズー・レズビアン。
・自分とは異なる性別の動物を好む、ズー・ヘテロ。
・またセックスでの立場を示す言葉もあり、受け身の場合はパッジブ・パート
その逆はアクティブ・パートとなります。
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思った以上にこの言葉がすんなり頭に入ってこず、混乱しながら読み進めていました。
ヒトが無理やり動物と性行為をするわけではなく、「動物が誘う」と性交をする。
パートナー優先の生活で、当たり前にキスをするが舌を絡ませたものが当たり前。
ズーは家では裸でいるのが当たり前で、性器をパートナーになめられたりもする。
文字にしただけでくらくらします…
「獣姦とはなんか違うけど、結局は獣姦では?」とも思うのですが
獣姦は動物が固定されていて無理やりヒトが挿入をするセックスを行うことで
ズーはそういうことをしない、という線引きがあります。
パートナーが犬が多いのは、ほかの動物だとヒトとの身体の大きさが異なるからだそうで、なかでも馬が憧れのパートナーというのはお国柄なのかなと思いました。
裸で生活し、パートナー中心に暮らす。
いまパートナーがどうしてほしいかを感じること。
裸はともかく、ペットがどうしてほしいかを感じてる人はたくさんいるように感じます。
でもペットはパートナーと違う。
パートナーは明らかに「誘ってくる」「自分だけを見てる」そうで。
裸でいればそれなりにフェロモンといいますかそういうものがパートナーに刺激となって、パートナーにいわせればヒトが誘った、ということにならないのでしょうか?
(衣服を着てる状態でも「誘う」らしいのでどうなのでしょう)
様々なショッキングな事例があって、著者はそれを受け止めながら自分の性体験のフラッシュバックも伴いながらも取材を続ける熱意はいったいどこからきたのでしょう。
知らない、はじめて会う人にセックスの話をする。相手も著者も緊張し、打ち解けてゆく。
その末にこの本ができたことは、彼ら彼女らの信頼の証のようなものだと感じます。
ショッキングなテーマだったり、興味本位だったり、手に取った理由は人ぞれぞれと思いますが、ヒトと動物の秘めたかかわりは新しい関係性で、これもまた多様性のひとつなのかもしれません。
タイトル:聖なるズー
著者:濱野ちひろ
出版社:集英社
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