満州開拓団の一つである黒川開拓団が
敗戦を知ってから日本に戻るまで
また日本にもどってからのことです。
満州開拓団とは?
1932年(昭和7年)から大陸政策の要として、
満蒙開拓移民 Wikipediaより
また昭和恐慌下の農村更生策の一つとして遂行され、
満州国建国直後から1945年の敗戦までの14年間に
日本各地から満洲・内蒙に開拓民として、27万人が移住した
この本で取り上げられている黒川開拓団も
岐阜県黒川村から満州に向かいました。
どんな内容なの?
【あらすじ】
HonyaClub より
1945年夏――。日本の敗戦は満州開拓団にとって、地獄の日々の始まりだった。
崩壊した「満州国」に取り残された黒川開拓団(岐阜県送出)は、
日本への引揚船が出るまで入植地の陶頼昭に留まることを決断し、集団難民生活に入った。
しかし、暴徒化した現地民による襲撃は日ごとに激しさを増していく。
団幹部らは駅に進駐していたソ連軍司令部に助けを求めたが、
今度は下っ端のソ連兵が入れ替わるようにやってきては、
“女漁り””””や略奪を繰り返すようになる。
頭を悩ました団長たちが取った手段とは・・・・・・。
数年まで表立って話されることがなかったことが
当時犠牲となった女性たちの証言のおかげで明らかになってきました。
これは著者が関係者ひとりひとりに丁寧にインタビューをし
まとめられたものです。
序章 「乙女の碑」の詩
メインの語り手でもある玲子さんとの出会いが書かれています。
敗戦後中国から帰国した方々のお話を傾聴していた時
「開拓団から頼まれてソ連兵の所へつれていかれたおねえさんがいる」
そんな話が…
第1章 満州への移住
どのように満州開拓団は集められたのか
その開拓先での暮らしはどのようなものだったのか…
第2章 敗戦と集結
敗戦を知らなかった開拓団に暴徒化した人々がやってきて
持ち物が持ち去られたり、暴力が振るわれました。
自分たちの開拓団の本部へ命からがら行っても
まったく状況がわからない。
季節はどんどん冬へと向かう。
極寒の地になってしまうため、移動することはできない。
越冬のための準備を始めるが…
第3章 ソ連兵への「接待」
暴徒化した現地民やソ連兵から開拓団を守るために
副団長はソ連将校に交渉したという。
「この団を守ってもらう代わりに、おもてなしをしてもらう」
数え年18歳以上であり、未婚であること
第4章 女たちの引揚げ
チフスなど疫病が流行り、寒さも相まってばたばた仲間が亡くなっていく。
そんな一年が過ぎ、開拓団から抜け出して日本へ帰ろうとする人々があらわれ
開拓団も引き揚げのために動き出します。
そんな道中の途中、トラブルが発生し
そこでまた女性たちは「接待」を強制させられます。
第5章 負の烙印
やっと戻った故郷で、女性たちはある噂を耳にします。
「満州から帰ってきた女の人はみんな、処女ではない」
「俺は結婚するなら処女をもらうでの」
それは開拓団にいた男性からも発せられた。
「減るもんじゃなし」
「ロスケにやらせたんだから俺にもやらせろ」
あの時彼女たちは開拓団を守ったのにもかかわらず、である。
第6章 集団の人柱
「接待」をさせられた女性と、「接待」をしていない女性
年齢のわずかな差で決められた女性二人が
お互い60を過ぎてから当時の話をしますが…
当時見えていたものがあまりにも違うのです。
終章 現代と女の声
なぜこの取材ではこんなにも赤裸々に書かれているのか。
話してくれた女性たちは当時どう思い
今どう考えているのか…
読んでみて
なんとなくわかっていたことではありますが
当事者の方々がまだご存命のうちに
はっきり言ってくださったことに感謝しかありません。
敗戦の混沌としていた地であったからこそ
仕方なかったと
後に男性たちは答えていますが
誰一人その女性の犠牲に対して当たり前という態度なのが
同性としてはほの暗い怒りを感じます。
そういう時代だった
やりたくてやってたんでしょう
なぜそういう言葉を投げかけられるのかが理解できません。
戦争を体験していない私たちではありますが
現在の世界情勢を鑑みると
いつその矛先が自分たちに向くかもわからない
非常に不安定な時代ともいえます。
そういう意味ではこのタイミングでこの本が出版されたことに
勝手に意味を感じてしまうのです…
著者:平井美穂
出版社:集英社
発売日:2022/1/26
【本日のサムネイル】
岐阜県
中部地方それぞれの簡略化された地図が
バラバラに描かれたイラストです。
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